丹下健三の東京計画1960の「電通テック本社ビル」
こんにちは。ざーやまです。
さっそくですが、今回も世界的なムーブメントとなった、
メタボリズムについて触れていこうと思います。
1960年代。
丹下健三に大きな影響を受けた、
菊竹清訓、黒川紀章、槇文彦といった建築家たちを中心に、
展開された「メタボリズム」建築運動。
これは、周りの環境や流れに即座に適応する生き物のように、
次々と姿、形を変えながら増殖していく建築や都市のイメージのことを言いました。
そもそもの時代背景として、
メタボリズムが提唱されたのは、戦争で日本が荒廃し、
復興が進み高度経済成長期へと移行した時代です。
その思想の根底には、マクロな都市からミクロなコミュニティをより良くしていくという、
建築家たちの思想があると、わたしは思います。
メタボリズムの源流でもある建築家を「丹下健三」の作品を紹介したいと思います。
まずは、丹下健三らが提唱した海上都市「東京計画1960」
メタボリズムの先駆けといわれ、始まりと言える計画だ。
東京湾を横断するという画期的なアイデアあり、社会に大きな影響を与えました。
それは、一般の人たちにも与える影響も大きかったそうです。
もとをたどると、丹下健三に依頼が掛かった築地再開発のなかで構想された
一つのピースでもあり、東京計画1960の後作と位置付けることができます。
そして、築地再開発計画は東京計画1960の業務ゾーンを落しこんでおり、
その中の一つの建物である。
こちらが、始めの案だそうです。
2つのコアボリュームが垂直に伸びるファサード。
トラスに掛けられた意匠が軽快な軽さや、メタボリズム思想のまま、
上に伸びていく増殖する仮定というイメージを彷彿とさせます。
もともとの案は、この計画を推し進めていた電通の社長がなくなり、
大幅な予算変更を求められ、実現にはならなったとのことです。(涙)
結果、2つのコアボリュームはなくなり、軽さや増殖するという
新陳代謝というイメージはなくなりましたが、
この存在感のある、コンクリートの柱・梁に覆われたファサードは、
とても力強さと厳格さを感じる。
だが、そこにはこの建物全体をみたときに、
大きなものの一部を切りとったかのような、デザインとなっており、
当初の計画の増殖・成長を感じる建物のイメージとなっている。
残念ながらこの建物は取り壊しがきまっており、歴史的な建造物がなくなっていく。
逆にいえば、それ自体がメタボリズムの思想の一つなのかもしれないが、
この街から消え行くのは少し寂しさを感じる。
以上ざーやまでした。
----
「電通テック本社ビル」1967年竣工
所在地: 〒104-0045 東京都中央区築地1丁目11−1
構造設計者: 坪井善勝研究所
設備設計者: 井上宇市研究室
建築面積: 1,590.3 m² (建蔽率49%)
設計者: 丹下健三・都市・建築設計研究所
0コメント